私たちはもう、だれかの価値観で生きる必要はない


この世は生きづらい!

20数年生きてていちばんの感想。

でも、今はそんなことなくなりました。


先人が作った価値観や社会のあり方がたくさんの人を不幸にしている。

私たちはもう、誰かの価値観で生きる必要はないのだ。


私はとにかく独善的で孤独を恐れる子供だった。

小学生の頃、放課後にだれかと遊ぶ予定がないことが耐えられなかった。

共働きの両親に、ゲームばかりしている兄。

家にいると自分がいかに暇で孤独だということを思い知らされた。

学校が終わってから、少しでも友人枠に入る同級生へ片っ端から電話をかけて遊ぶ約束を取り付けることもあった。

(今思えばとてつもない行動力)

ある日、誰に電話しても断られたことがあった。

そのとき私の心の中で鱗がぽろっと落ちるような感覚があった。


あれ?私何してるんだろう。


そんな私が今は孤独を謳歌している。

もちろん、世間が1人遊びに寛容になってきたのもあると思う。


あるとき自分に「なぜ自分が孤独であることを嫌なのか?」と聞いてみた。


いちばんの理由は、

寂しい人だと思われたくない。


なぜ?

哀れな目で見られたくない。


なぜ?

…?そういえばなんでだろう。


そこには、どうでもいい他人の目ばかりを気にしている自分がいた。

そうだ、そもそも、他人にどう思われても私には関係ないのでは?


このことに気づくまでに時間がかかった。

他人の目なんて関係ない!と思いつつどうしても気にしてしまう、それは今もまだ少し残っている。


孤独と寄り添って生きていくこと、他人の目を気にしないこと、ちょっと訓練が必要。

そして意思の力。他人の価値観に飲まれないという意思。自分の価値観を掘り下げて掘り下げて、何がしたいかを聞き出す。


自分とのヒアリング力。

これが楽しく生きる秘訣だと思いました。

どうせ無理だとは言わない、思わない。

やってもいないのに分からない。

やってみてダメだったら、そのとき後悔すればいい。


月並みな言葉ですが、

このことを咀嚼して受け入れたことで、生きるのがずーーーっと楽になりました。


自分は何が好きか?

何がやりたくないのか?

どうやって生きていきたいか?


今も模索中です。

でも、これだけは決まっている。


他人の価値観には左右されない。

自分の声を聞く。


孤独、たのしいです。